父が亡くなったという知らせを受け、私は久しぶりに故郷へ向かいました。一人暮らしだった父の家は、私が子供の頃に過ごした思い出の場所。しかし、玄関のドアを開けた瞬間、その思い出は異臭と共に崩れ去りました。家の中は、床が見えないほどのゴミで埋め尽くされていたのです。いわゆる「ゴミ屋敷」でした。呆然と立ち尽くす私の頭をよぎったのは、悲しみよりも先に、現実的な問題でした。このゴミの山をどうするのか。片付けにはいくらかかるのか。近所の人たちはどう思っているのか。途方もない不安と絶望感に襲われ、私はその場に座り込んでしまいました。数日間、私は弟と途方に暮れながら、どうすべきかを話し合いました。父が残した家を、ゴミと共に処分してしまうことへの罪悪感。しかし、私たち兄弟には、このゴミ屋敷を片付ける経済的な余裕も、時間的な余裕もありませんでした。専門業者に見積もりを依頼すると、提示された金額は軽く百万円を超えていました。父の預金はほとんどなく、この家を相続するということは、莫大な負債を背負うことと同義だったのです。悩んだ末、私たちは弁護士に相談し、「相続放棄」という選択肢があることを知りました。父の全てを、思い出も、そしてこのゴミの山も、全て手放すという決断。それは、断腸の思いでした。家庭裁判所に必要書類を提出し、相続放棄の申述が受理されたという通知を受け取った時、安堵と共に、言葉にできないほどの虚しさが胸に広がりました。父の生きた証を、自分の手で断ち切ってしまったような気がしたのです。相続放棄は、決して簡単な決断ではありません。それは、故人との関係、そして自分自身のこれからと、深く向き合う、苦渋の選択なのだと、今も思っています。